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連載/俳優がおちいる「演技力」という幻想 第4回「飛び込んでから考える・・・ストラスバーグへの感謝」

連載/俳優がおちいる「演技力」という幻想 第4回「飛び込んでから考える・・・ストラスバーグへの感謝」 


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 飛び込んでから考える・・・ストラスバーグへの感謝


 若かったから──ということもあるけれど、「飛び込んでから考える」という私の性癖はメソード演技を学ぶに適していたと思う。ストラスバーグの指導の仕方は全くそういうやり方だったから。
 そして、言葉のハンディキャップがかえって幸いしたのかも知れない。つまり、分かろうと分からなかろうと、とにかくやって、自分のやったことの何がよくて何がダメなのか・・・あとで考える。まずは「演ること」に集中するしかない。
 とにかく細かな質問をしたくとも、説明をしてもらいたくても、ほとんど取り合ってもらえないのだ。ストラスバーグとのやり取りはシンプルかつストレートで、あとは言われたことをやるしかない。だからぶつかるときは激しかった。

 ある時、エクササイズの最中に激しく泣いている私に目をとめたストラスバーグが「両腕を広げろ」と言う。私は広げたのだが「君はやっていない!」と言う。私は言われた通り両腕を広げている訳だから「やっている!」と言い返す──「いや、やっていない!」「やっている!」と、しだいにやり取りがエスカレートし、私は訳が分からず、ついにストラスバーグが「やらないなら出て行け!」と声を限りに叫び・・・私は涙も止まってなすすべもなく立ちつくし・・・。

 それから、ストラスバーグは私の何が違うのかを分かりやすく説明してくれた。私の広げている両腕には充分な力が入っていないと言う。
 つまり、「内面に起こっている強さ激しさは、それに見合うエネルギー(力)を身体の隅々にまで漲らせることができなければ、表現にまで持っていくことはできない」と言うのだ。
 なるほど確かに、その時の私の身体は感情に負けて弱々しく使い物になっていなかった。

 身体で「分かる」ことの重要さを、70代後半という高齢になっていたストラスバーグは自分の身体を張って徹底的に教えてくれた。

 私は今でもこのときの指導に心から感謝している。ストラスバーグのクラスで私のように気づかされ、感謝した俳優がどれほどたくさんいたことか──。

 私にとって大切なことは、感情と身体のコントロールを訓練として体験できたことだ。

 最初、説明を聞いた私は「なんだ、そういうことだったのか。先にそう説明してくれればよかったじゃないか」と思った。
 しかし、激しく泣いているその時だからこそ、役者は身体への要求に応えられなければ意味がないのであって、先に説明されたとしても身体で「分かる」ことができなかったのだ。そのことに気がついたのは、ずっと後になってからだった。


  (つづく)



 追記 2013年3月20日に、SAKURA ACTING PLACEでは体験ワークショップを開催いたします。




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連載/俳優がおちいる「演技力」という幻想 第3回 あの時代・・・ストラスバーグの稽古場

連載/俳優がおちいる「演技力」という幻想 第3回「あの時代・・・ストラスバーグの稽古場」     第2回へ戻る


 あの時代・・・ストラスバーグの稽古場


 私がメソードを学んでいた頃のニューヨークは犯罪の街として有名で、特にマンハッタンは昼夜を問わず本当に犯罪の多い街だった。銃や薬物の日常的な取引、通りにはアル中の浮浪者があふれ、42丁目の劇場街にあった酒屋は強盗の襲撃を避けるため、客側と店側は高い天井まで完全に鉄格子で仕切られ、小さな窓口に片腕を曲げて差し込んで酒と現金をやり取りするようになっていた。
 まるで映画の中の世界そのものだ。ロバート・デ・ニーロの「タクシードライバー」がヒットして話題になっていた。

 それでもニューヨークは夢と可能性と個性に満ちた魅力的な街だった。成功を夢見て世界の国々から有名無名の俳優たちが集まってくる。そしてそれは、ストラスバーグのクラスにも言えることだった。
 ものすごいエネルギッシュな環境のなかで、ストラスバーグのレッスンは実に刺激的だった。「シーンワーク」は毎回2組(4人)のみの予約になっていて、残り20名くらいの参加者たちが見学する前で行われる。会場はワクワクするような緊張感に満ちていた。そしてみんなが、自分たちが舞台に出ていく時には、きっと良い演技をしてやろうと、舞台の演技に見入りながら、ストラスバーグの言葉に熱心に耳を傾けている。

 「エクササイズ」も凄まじかった。24,5人の「リラックス」が同時に始まる。そのうち各々が自分の課題に集中しはじめる頃には会場はカオスと化する。泣き声、笑い声、怒鳴り声、叫び声・・・そのカオスのなかをストラスバーグのひとりひとりに指示する声が飛ぶ。

 この感情の渦のような状態が往々にして「メソード批判」の的となった。
 しかし、ストラスバーグは決して、決して、感情を解放する目的で指導していたのではない! 俳優に求められる表現能力を最大限に生かせるよう、心身の不要な緊張を取り除き、埋もれている才能を少しでも引き出そうと常に全力をあげて戦っていた! そのための具体的な問題を指摘し、改良し、常に新しい才能を探していた! そしてこのエネルギッシュなカオスのなかに、一瞬でも柔らかく繊細な、強くて美しい、奇蹟のような才能に出会えるかも知れない・・・、それが彼の夢だったのではないかと思う。

 ストラスバーグが繰り返し語っていたイタリアの女優ドゥーゼ(1924年没)の演技がどんなに素晴らしかったかという話は有名だった。ドゥーゼはそれまでの既成の表現法に対して、独自のまったく新しい表現を生み出し、その芸術家肌の演技は名声を高くしたと言われる。ストラスバーグのなかにはドゥーゼの演技が消えることなく生きていたようだ。

 今の私たちはドゥーゼの演技を知るよしもないが、私には「エクササイズ」の感覚の訓練を通してのみドゥーゼ「内面からの演技」のヒントに触れるような思いがある。
 感覚を通して生み出されるリアルな演技は、上質な芸術に例えられる。
 そして、その演技は日本人に好まれる繊細さと奥深さとダイナミズムを表現として併せ持っているはずだと、今になってあらためて私は強く思う。

  (つづく)



 追記 12月8日のSAP体験ワークショップでは、メソードにおける感覚を中心に小さなエチュードへの導入も用意しました。是非、一人でも多くの方にご参加いただきたい!





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連載/俳優がおちいる「演技力」という幻想 第2回「楽器」大改造

連載/俳優がおちいる「演技力」という幻想 第2回「楽器」大改造     第1回へ戻る


 「楽器」大改造


 当時の私は、演技上の本質的なことは、まだ何も分かっていなかった。
 しかし、ストラスバーグ「それだ!それだ!」と叫んだ瞬間の身体の感覚だけは、その後、長く強く私の内部に残った。問題は意識的に舞台上でその状態をつくりだすことが出来るかどうかだ。
 いったい、これから何をどうしたらいいのか・・・?
 こうして、あっという間に最初の3ヶ月が過ぎ去った。

 メソード演技を学ぶには、作品を読み、10分程度の2人での「場面」を抜粋して舞台上で実際に演技する「シーンワーク」と、もう一つ「エクササイズ」のレッスンが重要となる。
 これは、「俳優の楽器づくり」のための訓練だ。

 一般的な俳優のためのレッスンは、言葉は言葉のクラスで、声は声のレッスンで、肉体は肉体訓練というように、それぞれ別々にあるが、メソード演技「エクササイズ」では、すべてつながりを持って一つの「楽器」として訓練が行われる。
 俳優の「楽器」には、肉体、声、言葉、感情、思考、意志、嗜好、感性など、いろいろな要素がトータルに含まれるとされる。そして、良い「楽器」とは・・・? 

 「楽器」づくりには、充分リラックスされた心身が必須で、筋肉、感情、声、言葉などが余計な緊張に邪魔されず自然につながり、影響しあって、それぞれが自由になることが大切だ。
 つまり、「エクササイズ」では、心身共に深くリラックスし、感覚の記憶への集中を通して、そこにつながる声やセリフ、感情や身体の動きなどのコントロールの訓練を受ける。
 例えば、感情が高ぶると身体に力が入って筋肉が硬くなり、思うように動きにくくなるし、声やセリフも思うように出てこなくなりがちだ。感情が高ぶった時ほど、身体がうまくコントロールされ、セリフも身体の動きも自由になる必要がある。
 また、セリフは単に口だけで語られるものではない。語られる動機や人物の個性や感情の影響を受け、肉体を通って語られることで、「内面からの生きた演技」になっていく。

 「シーンワーク」中にみられる演技上のいろいろな問題は、「エクササイズ」をやっていると、「楽器」の問題であることがしだいに分かってくる。
 俳優は自分の心身の状態が客観的に分かっていなければ、どんな良い演技も繰り返すことができない。自分の演技に対しての具体的な反省もできない。何が違うのか、どう努力していったら良いのか、漠然として処置なしだ。

 あの時起きた、「シーンワーク」における問題は、台本の解釈からおこったものではなく、それ以前の俳優としての「楽器」ができていなかったことによるものだ。
 「エクササイズ」を通して、初めて心身の緊張を取り去ることや感覚への意識を働かせることを学び、やがて、「楽器」大改造へと私は向かうのであった。


  (つづく)


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連載/俳優がおちいる「演技力」という幻想 第1回「舞台に「いる」こと

連載/俳優がおちいる「演技力」という幻想 第1回「舞台に「いる」こと


舞台に「いる」こと


 昔、リー・ストラスバーグのクラスを受けはじめた時、演技の勉強とは、まずは〈舞台にいられるようになること〉だとは・・・、若かった私には思いもよらないことだった。

 シーンワークで最初にやった作品はテネシー・ウィリアムス「話してくれ、雨のように・・・」だったが、ストラスバーグはとても褒めてくれた。しかし何を褒められたのか・・・、残念ながら若い私にはよく分かっていなかった。
 つまりシンプルに舞台にいて、窓際でひたすら雨の音を聞いている〈存在〉がどれほど観ている人の注意をひきつけるか・・・当時の私には、舞台上に〈いる〉ことそのものがりっぱに演技であることは、認識できていなかった。

 それで、次の作品「Rashomon」(芥川龍之介作、フェイ&マイケル・カニン脚色。1959年、ブロードウェイで上演。山賊:ロッド・スタイガー)で手ひどく失敗した。
 選んだ場面は、後ろ手に縛られて身動きできない夫の前で、山賊に犯された女房が、山賊の去ったあと物言わぬ夫に対して、エモーショナルに自己弁護をエスカレートさせていくシーンで、演技経験の少ない若い俳優には簡単に手におえるような代物ではなかったのだ。結局こういうドラマテンションの高いシーンでは、俳優は感情を高ぶらせ、これ見よがしな体当たり演技になりやすい。

 「いったい君は何をやっているんだ!」ストラスバーグが怒り出した。
 そして、1時間以上もかけて私を分からせようとしたけれど、私はどうしたらいいのか絶望的に分からなくなって、ついに何もかも〈演技すること〉をやめて舞台上で力なく放心状態になったとき、突然、「それだ!それだ!」と、ストラスバーグの叫ぶ声が聞こえて・・・、やっとその日の稽古から解放された。私はやっぱりよく分かっていないままだった。


  (第2回へつづく)

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プロフィール

sakuramoriwa

Author:sakuramoriwa
守輪咲良。演出家。演技私塾「櫻塾」代表。劇集団「咲良舎」主宰。日本演出者協会会員。一般社団法人日露演劇会議・常務理事。明治大学文学部卒。札幌市出身。

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