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下北沢小劇場B1公演「「偽りの打ち明け話」観客の方々からの感想



「偽りの打ち明け話」観客の方々からの感想


 本年9月末、下北沢小劇場B1で行なわれましたマリヴォー「偽りの打ち明け話」公演終了後、観客の方々のご感想をメールやファックスで複数いただき、ほんとうに感謝しております。なかでも、或る観客同志の間で行なわれました意見交換は、幕切れの処理に具体的に触れ、「デュボワの旅立ち」や「幕切れのアルルカン」についても興味深いご意見が述べられておりますので、ご本人の許可を得た上で、以下に掲載させていただきました。ご参考になれば幸いです。 
                               
                                           (守輪記)




 「偽りの打ち明け話」は本当に面白くまた楽しく拝見させていただきました。ご招待有り難うございました。咲良舎の皆さんも好演でした。
 演出は先生の翻訳とご著書の解釈、つまりは原作に忠実だったと理解いたします。
 ただ幕切れはおそらく演出者の創意のあるところ。デュボアの旅装は、自らの「仕掛け」が成功に終わり、文字通りの一芝居のあと浮き世に漂い出ようとする姿のように見受けました。そうだとすれば日本風漂泊の伝統、下世話には「旅ガラス」の余情を感じさせました。見当違いであればお笑い下さい。召使いの制服を放り投げて戯れるアルルカンの仕草とせりふの削除がなにを意味するか、いろいろな解釈の余地を残ししたのだと思いますが、一つには類型的な無頼と阿呆ぶりをさらして喜劇の締めとしたように感じました。

 観劇に先立ちご著書を再読して立派なお仕事に改めて感銘を受けました。時代背景や社会の事情から説き起こされていて、これを拝読の上でなければ私の芝居の理解は平板なものに終わったろうと思います。また近時、人文系の研究は細分化が激しいようですが、細かい目配りとただの些末へのこだわりは別だと思います。その点、通貨換算率を示された注はドラマを時代相の中に浮き立たせる絶大な効果があり、私にとって有益な「細部」研究でした。
 この機会に先に頂戴した岩波文庫の「贋の侍女」の御訳も再読しました。舞台のりの良さそうな好訳と思われますが、上演記録があまりないようにお見受けしました。私もこの歳ではもう無理ですが、再演があれば見に行きたいところです。

 改めてご招待に感謝申し上げると共に、くれぐれもご健勝をお祈りいたします。

                              平成27年9月29日(元外交官)




 このたびはマリヴォー劇の公演につきましてご丁重なお手紙を頂き、ほんとうに嬉しく存じます。さっそく演出の守輪さんにも伝えました。厚く御礼申し上げます。

 この作品は演出歴が長いためか、近年は様々な(ときには随分と無理な)解釈に基づく演出も見られますが、当然ながら今回は原作尊重の路線を取りました。上演時間の関係で少々カットせざるを得なかったところはありますが、ご指摘の通り、意図的なカットはアルルカンの最後の台詞のみと思います。外国の演出には「壁に掛けた肖像画」を装置として強調したものもあり、その場合はこの締め台詞も生きてきますが、今回の舞台では分かりにくくなりかねません。要するにこしでアルルカンがこだわっているのは、(翻訳の100頁、注13にありますように)デュボワとの勝ち負けなので、今回はセリフのほうはカットして、彼らの関係を活かそうとしたのだと思います。演出の創意としてご指摘くださいました幕切れの処置について、以下の2点を補足(蛇足?)させて頂きます。

 1)デュボワの旅立ちについて
 デュボワがいわゆる古典喜劇の従僕の系列には収まり切れない人物であることは、彼の策略のレベルからして明らかです。”偽りの打ち明け話”によってアラマントを怠惰な日常から引き出すことが出来れば、あとは恋の力で解決し得ると見る彼の洞察力、金銭的利害(1幕2場で約束された策略への報酬)に対する徹底した無関心・・・デュボワを作者の分身と見ればそれも当然でしょうが、もしそうなら、結ばれた二人を置いて”立ち去る”ことによって、自分の大切な作品である”彼らの幸福”を曇りないものにしようとするのでしょう。作者はデュボワの旅立ちを文章化してはいませんが、こうした思いに捕らわれる演出家は多いようです。

 2)幕切れのアルルカン
 デュボワが実はドラントの忠僕とは知らないアルルカンの判断は、初めから誤解に基づいています。アルルカンは子供のような価値判断をするので、彼の人間関係は”勝ち負け”で決まります。ドラントに仕え、すっかり好きになってしまった自分は、デュボワに勝ったと思っています。(二幕10場、三幕3場)。その比較の対象が”立ち去る”のを見て、彼の感情は複雑です。デュボワが脱ぎ捨てた従僕のお仕着せに戯れるアルルキナードは、言語化しにくい彼の感情を表現する、いわば唯一の手段でもあり、ご指摘の通り有効な”喜劇の締め”ですが、日本人にはなじみの少ない、苦手な分野でしょう。努力は認めますが、これから益々磨いて行って欲しいと思います。

 つまらぬことを書き連ねました。お許しくださいませ。

 P.S. アルルカンについての補足
 マリヴォー劇に出て来るアルルカンは、酒好き、女好き、騒ぎ好き、そしてお金が好き、とコメディア・デラルテのアルレッキーノに共通しますが、その異様な仮面から察せられる魔性や錯乱的要素はまったく見られなくなっています。
 マリヴォーのアルルカンは「負けん気」は強いが素朴なお人好しで、物語に溶け込んで与えられた役割を果たします。先に「デュボワを見送る複雑な感情」と書きましたが、そこには当然「勝ち負け」だけでなく、喧嘩相手を失うさみしさもありましょうし、他方では陽気な祝祭(ドラントの婚礼なら、さぞかしご祝儀もたっぷり出るはず!)の予感も入り混じっています。外国人(イタリア人)でしかも無教養という役で言語能力が乏しい彼にとって、豊富な身体性、得意なアルルキナードarlequinadeこそ、最適な自己表現なのでしょう。退場の直前に、ヤッホーと叫んで飛び上がっていましたね。今回のアルルカンは少々ノッポなのが気になりましたが、頑張っていたと思います。

                           2015・9・30(翻訳家)


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テーマ : 演劇・劇団
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

sakuramoriwa

Author:sakuramoriwa
守輪咲良。演出家。演技私塾「櫻塾」代表。劇集団「咲良舎」主宰。日本演出者協会会員。一般社団法人日露演劇会議・常務理事。明治大学文学部卒。札幌市出身。

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