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守輪咲良活動日記No.11  メソード演技への思い込みや誤解や無理解へのチャレンジ

守輪咲良活動日記No.11  メソード演技への思い込みや誤解や無理解へのチャレンジ

 
メソード演技への思い込みや誤解や無理解へ
のチャレンジ


 日本へ帰ってきて以来、演出や演技指導の仕事をしていて、ずうっとある種の違和感がつきまとっている。たぶんそれは、一般に日本では〈演技が芸術として認識されていない〉ことからくるものではないかと思う。とにかく集中の仕方が違うのだ。ここに大きながある。
 何より芸術としての演技に触れる機会がない、環境がないという問題が一番の原因だと思う。

 勿論、いろいろな演劇があっていいのだけれど、まず、大前提に芝居はみんなで楽しむべきものと思っている人たちがたくさんいる。断っておくが、若い人たちのことだけを言っているのではない。だから舞台のからくり、煙幕の使用など視覚的なもので楽しませてくれるスペクタクル的なものに人気が集まる。私はスペクタクルな猿之介歌舞伎も大いに楽しむので、決してスペクタクルであること自体を批判しているわけじゃない。

 そうじゃない演劇がある。俳優の演技そのものが芸術として認識され創られた演劇だ。スタニスラフスキーはもちろんのこと、ストラスバーグも演技を芸術として尊敬する信念を持っていた。ただ時代の違いで、また、幸か不幸かアメリカという映画大国でメソード演技は映像のものとばかりに思われている。古い教会のかつて祭壇だった舞台で行われていた「アクターズスタジオ」のセッションには、厳かな気持ちよい緊張感があった。真に創造的な演技に対する探求が行われ、俳優への敬意が払われていた。ストラスバーグが亡くなったあとのスタジオは知らないが。
 日本に広まったメソード演技は、感情開放を強調し過ぎて大きな誤解をうんでいる。私がマリヴォーにこだわるのも、あらためてスタニスラフスキーにこだわるのも、メソード演技へのいろいろな思い込みや誤解や無理解へのひとつのチャレンジだ。

 私が提唱している「art of living」は、勿論スタニスラフスキーの基本だ。そしてストラスバーグから教わったものだ。敢えて英語のまま使っている。〈芸術〉と書くとなにやらおこがましく、哲学じみた疎遠な印象を与えかねない。私の老婆心だろうか? もっとシンプルに、私たちは生きているし、毎日の生活のなかで、私たちの身近にあるものに〈気づくこと〉〈意識されること〉からすべてがはじまる。空や木々や人々、そして自分という存在・・・。技術以前の豊かな感性を磨いていく心がけや環境がなければ、メソードもスタニスラフスキーもこの国に根づいていかないだろう。書きたいことはいろいろある。

 なにはともあれ、明日から3日間ワークショップがはじまる。今回はどんな出会いがあるだろう? 

 (守輪咲良)

 守輪咲良と咲良舎の上演記録・ワークショップ等の詳しい情報はホームページ版「さくらの便り」へ。

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2008年10月20日から数えて
プロフィール

sakuramoriwa

Author:sakuramoriwa
守輪咲良。演出家。演技私塾「櫻塾」代表。劇集団「咲良舎」主宰。日本演出者協会会員。一般社団法人日露演劇会議・常務理事。明治大学文学部卒。札幌市出身。

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